『天気の子』を観て、ワタクシは「幸せになるのは大変だなあ」と思いました。アニメ史上に輝く大ヒット作に対して、こんなマヌケな感想ですみません。
家出して東京にやってきた森嶋帆高と、母を亡くした天野陽菜が出会う。帆高は陽菜のチカラを活かす仕事を思いつき、その仕事を地道にやることで、人の役に立てる喜びを知る。不安定な境遇だった2人は、お互いのなかに自分の「居場所」を見出していく……。幕開けは、心温まるシーンの連続だった。
だが帆高と陽菜は、そう簡単に幸せにはなれなかった。2人の小さな日常は、驚くほどスケールの大きな現象に直結してしまい、穂高は「究極の選択」を迫られる。これは切ない。苦しい。幸せをつかむのがあまりにも大変だ!
などと思ったことを書いていると、重大なネタバレをやらかしそうなので、とっとと科学の問題に切り替えましょう。この映画は、科学的にも注目に値することがあって、それは「東京の一部が水没した」という劇中の事実だ。
東京に雨が降り続いて2年半。故郷の島に戻っていた穂高が久しぶりに東京にやってくると、その街は様変わりしていた。新海誠監督自身の筆による『小説 天気の子』(角川文庫)によれば「東京都の面積の1/3が、今では水の下だった」という。
東京の3分の1が水没するとはオソロシイ話である。いったいどれだけ雨が降れば、そうなるのだろうか。ここでは、アニメの描写と前掲の小説版を元に考えてみよう。
◆どれくらい水位が上がったのか?
東京の年間降水日(1㎜以上の雨が降った日)は平均104日で、降水量は1800㎜である。3.5日に1日しか雨が降らず、降っても平均17㎜ということだ。
一方、アニメのなかの東京は、本当に雨が多かった。帆高が初めて東京にやってきた夏は、たまには晴れるときもあったけど、ほとんどが雨の日で、しばしば激しい雨が降った。
大雨特別警報が出されたときの雨は特にひどくて、1時間の雨量が150㎜を超えた。道路が冠水し、マンホールから水があふれ出した。
小説には「内水氾濫が発生している」とあったが、これは雨量がその地域の排水能力を超えることを指す(これに対して、川の堤防が決壊したり、水が堤防を越えたりする流れ出す状態を「外水氾濫(洪水)」という)。
都市の排水能力は1時間に50㎜ほどだから、これを超える雨が降り続くと、内水氾濫の危険が生じる。1時間に150㎜の雨が降ったら、50㎜ずつ排水していっても、100㎜=10㎝ずつ水位が上がっていくのだ。
実際アニメのなかでは、翌朝に雨が上がったとき、道路はかなり冠水していて、小説版では「荒川の河川域を中心に、多くの地域が浸水しています。水深十センチ程度の場所から、低地部では五十センチ近くに達する地域もあり――」と報道されていた。恐るべき事態である。
だが、前述したとおり、帆高が再び東京にやってきたときの状況は、そんなレベルではなかった。雨は2年半降り続き、東京のかなりの部分が水没してしまっていた。
当然、都市としての機能もかなり変わり、小説版によれば「山手線は今では環状線ではなくなっていて、水没地点を挟んでC字型に途切れている。それぞれの先端にあたる巣鴨駅と五反田駅からは、各地への水上バスが出ていた」。なんと、そんなことに……。
ここから、どれほどの水が溜まったのかが推測できる。巣鴨と五反田の駅は水没を免れたと思われるが、それぞれの標高を調べると、巣鴨駅が21mで、五反田駅が8m。そのあいだにある品川、有楽町、東京などは2~3mしかないから、水没したのだろう。ということは、2年半の雨がもたらした水位の上昇は7mくらいか?
◆東京23区はすべて水没!
と思ったが、事態はそんな生易しいものではなかったようだ。映画を観てわが目を疑ったが、レインボーブリッジの橋げたが水没している! 帆高が島から乗ってきたフェリーは、その上を通過して、東京の港に入っていった。
こうなると、水位上昇の規模はまるで違ってくる。レインボーブリッジは、橋げたの下面の高さが海面上54.2m。その上にあるケーブルの中央部も水没していたから、水位は60mくらい上がったと思われる! これは大変だ。
東京都の市区町村の「平均標高」を調べてみると、23区でいちばん高いのは、筆者が住む練馬区だが、それでも41.8m。わあっ、わしの家も沈んだ!
東京23区は本当に平べったくて、水位が60mも上がると、23区のすべてが水没してしまうのだ。市町村は島を除いて30あるが、そのうち、狛江市(23.3m)や調布市(39.0m)など6市は水の下。生き残るのは、東京の西側で、武蔵野市の吉祥寺駅が標高66m、三鷹市の三鷹駅が67m、国立(くにたち)市の国立駅が81m……という具合だ。
2年半かけて東京東部はゆっくり水没していったのだろうから、1千万都民は少しずつ西に引っ越していったんだろうなあ。引っ越し屋さんはさぞ忙しくて儲かったでしょうなあ。
下世話な想像をしている場合ではない。東京湾に面したレインボーブリッジが水没したとなると、排水機能が追いつかないがゆえの内水氾濫や、河川の氾濫による洪水などとはわけが違う。水が流れ出ていくべき海面そのものが高くなったということだから。
ここから考えを広げると、全国が危険である。道府県庁の海抜が60mを超えるのは、高い順に、長野(371.3m)、甲府、山形、盛岡、宇都宮、前橋、大津、奈良、福島(66.9m)の9市だけ。日本の都市は、ほとんどが海の底に沈んでいる可能性がある。
さらにいえば、海はつながっているから、世界も危うい。オランダや多くの島国はもちろん、パリ(35m)、ベルリン(34m)、ロンドン(11m)、ニューヨーク(10m)などが水没しているかも。想像するとまことにオソロシイ話になってくる。
◆本当に起こり得る話だった!
それにしても、海面が60mも上昇するとは、どんな雨が降ったのだろうか。
60mとは6万㎜で、2年半かけてこれだけ降ったなら、1日あたり66㎜、1時間あたり2.7㎜。気象庁のHPなどで調べると、1時間あたり2㎜で傘が必要になり、それが5㎜になるとかなり強い雨。1時間あたり10㎜は台風並みだ。
つまり、2.7㎜というのは、そんなに強い雨ではない(アニメの描写も、確かにそのくらいの感じだった)が、休みなく2年半降り続くと60mになるわけだ。
ただし科学的に考えると、雨で海面が上昇するというのは、ちょっと不思議である。雨は大気中の水蒸気が水になったもの。その水蒸気の大半は、海から蒸発したものだ。
海に降った雨はそのまま海水になり、陸に降った雨は川を流れて海に戻る。海水→水蒸気→雨→海水という循環を繰り返しているわけで、いくら長雨が続いても、海面が上昇することはない。普通は。
なのに大幅な海水面の上昇が起こったということは、普通でないことが起こったのだろう。すなわち、陸地の水や氷までもが水蒸気になり、雨となったら、海面の上昇もあり得る。
陸地の水のなかで最も多いのは南極の氷で、1300万㎢の大陸に平均2450mの厚さで積もっている。これがすべて蒸発し、雲になり、雨として降ったら、海面は82m上昇する!
つまり、『天気の子』が描いた水没した東京の姿は、地球温暖化によって南極の氷の4分の3ほどが溶けてしまった場合に、本当に起こり得る東京の様子そのものなのである。
穂高と陽菜の日常はスケールの大きな現象に直結していたが、実はわれわれの日常もまったくそれと同じ。そんなことまで示唆している『天気の子』は、まことに奥深い映画である。