『うんこドリル 漢字』では、「うんこを流すか、流さないか」が議論の対象になる。
「この うんこは 九月まで ながしません」(ドリル1年・九)
「きみが望むなら、今すぐにでもこのうんこを流そう」(問題集4年・望)
なぜだろう? うんこを流さずにいると、いろいろと困った問題が起きそうだが。
「せっかく ためて おいた うんこを 兄に 流されて しまった」(ドリル2年・兄)
「なぜうんこを流したのかと弟に責められた」(ドリル5年・責)
兄弟ゲンカも起きている! なぜここまで、うんこを流すかどうかが重要なのか。その理由を探ってみよう。
◆流したくても流れない
流す流さない以前に、どうしても流れないうんこというものもある。
「大きな うんこ なので 二回に 分けて 流そう」(ドリル2年・分)
なるほど、大きすぎたり、多すぎたりするうんこは、一度では流れないこともあるだろう。『うんこドリル空想科学読本』では「人間が1日にするうんこは平均250g」というデータを採用しているけれど、これは日本人の平均で、肉食中心の欧米人のうんこは、1日平均100gともいわれる。逆に、栄養のほとんどを植物から摂るニューギニアなどでは、1日平均1㎏という説も。何を食べるかによって、うんこの量は大きく変わるのだ。
とはいえ、流れないほど大量のうんこをする人たちは、どんな食事をしているのだろう。まことにナゾである。
「この うんこが 流れきるのは 午後に なりそうだ」(問題集2年・午)
現在午前9時で、午後1時までかかるとしたら、流れ切るまで4時間! タンクに水が溜まるのに1分かかるトイレなら、240回も流さないと、流れないってこと!?
「ぼくの うんこは 何回 流しても 流れなかった」(ドリル2年・何)
それ、どんなうんこだろう?
「このうんこは強制的におしこまないと流れない」(ドリル5年・制)
流れないからといって強制的に押し込んだら、排水管が詰まる恐れがあります。
「このうんこは分散させないと流れないぞ」(ドリル4年・散)
そうそう、分散させるのがいいと思う。
「本当にこんなに大きなうんこが流れるのか、検証してみよう」(問題集5年・検証)
検証が必要なほど大きなうんこをする人は、ぜひ次のトイレを使っていただきたい。
「この トイレは 六百人分の うんこを ながす ことが できます」(問題集1年・百)
いったいどんなトイレなのか!? 容積が600倍なら、サイズは8・43倍と考えられる(8・43×8・43×8・43=599・1)。筆者の自宅のトイレと比較すると、前後4・7m、左右3m、高さ2・9mという巨大トイレ。ヘタをすると、溺れそうだっ!
◆流すかどうかで議論百出!
流そうと思えば流れるうんこについては、きわめて慎重に議論される。
「うんこを流すべきか流さないべきか検討しています」(ドリル6年・討)
えっ、なんで?
「このうんこを流すかどうかは、投票で決めよう」(問題集4年・票)
ええっ、そこまでするの!?
「検討の結果、うんこを流すことにしました」(ドリル6年・討)
あのう、検討するまでもなく、うんこは、したら直ちに流したほうがよくないですか。うんこを流さずにいると、2つの大きな問題が発生しますぞ。
その1、腐敗が進む。その2、次の人が使えない。
「腐敗」とは、細菌の活動のうち、人間に害があるもののこと。人間に有益なものは「発酵」と呼ばれる。あくまで人間の都合で区別しているだけで、益虫と害虫の違いに似ている。腸内細菌も、うんこを発酵させるものが善玉菌、腐敗させるのが悪玉菌と呼ばれている。
うんこを流さずにいると、発酵も腐敗も進むが、体外に出てしまった以上、善玉菌がいくら発酵させても人間に利益はなく、悪玉菌による腐敗が進むと、インドール、スカトール、硫化水素、アンモニアなど悪臭のある物質が発生するばかりか、O-157大腸菌などの病原菌も繁殖する。さあ皆さん、うんこは迷わず流しましょー!
「今回のことを教訓にして、次からはすぐうんこを流します」(問題集4年・訓)
うんうん。ぜひそうしていただきたい。
だが、議論に明け暮れる人たちは、筆者のように簡単には考えないようだ。
「きみには自分のうんこを流す権利がある」(ドリル6年・権)
「きみがうんこを流す決心がつくまで、いつまででも待つよ」(問題集3年・決)
なるほど、流すか流さないかは、した人の権利の問題であり、その人が決めること、という考え方か。深い……。
「このうんこを流すかどうかは、もはや憲法の解しゃくの問題になってくる」(問題集6年・憲)
え~っ、そこまで!? 憲法は、国民にさまざまな自由を保障しているが、「何をやってもいい」のではなく「公共の福祉に反しない限り」という制限がある。うんこを流さずにいると公共の福祉に反するが、勝手に流すと人権を侵害する。そう考えると、侃々諤々の議論が沸騰するのも当然かもですなあ。
◆ああ、うんこへの愛
自分のうんこを流すか流さないかで、悩む人たちもいる。
「うんこを流すか流さないか、いつもまよっている」(ドリル3年・流)
「かれは、うんこを流すかどうかで判断に迷っています」(問題集5年・判断)
なぜそんなに悩むのか。
「うんこを流すときの悲しさは特別なものだ」(問題集3年・悲)
「うんこを流すときは良心がいたむ」(ドリル4年・良)
「うんこを流すときは、どうしてもため息が出てしまう」(問題集3年・息)
ああ、なるほど、心情の問題。みんなうんこを愛しているんだなあ。
「うんこを流す時、少し罪悪感を持ってしまう」(ドリル5年・罪)
「まちがえてうんこを流してしまった自分を責める」(問題集5年・責)
「こんな見事なうんこを流すなんて、胸が張りさけそうだ」(問題集5年・張)
「うんこを流すとき、いつも心の中で『また会おう。』とつぶやく」(問題集3年・流)
「ぼくは うんこに 毎回 名前を つけてから ながして いる」(問題集1年・名)
むっひょ~。どれもこれも、あふれんばかりのうんこ愛!
「残念だけれど、そろそろうんこは流さなくてはならないよ」(問題集4年・残)
うーん、切ないな。ああ、さようなら、うんこ。――と思ったら、
「流れそうなうんこを、危機一髪のところでつかんだ」(ドリル6年・危)
なかなかできることではありません!
◆もしも自分がうんこだったら
人々は、なぜこれほどまでにうんこに心を寄せるのだろうか。
「流されていくうんこの気持ちになると、気の毒だ」(ドリル4年・毒)
「例えばぼくたちがうんこだとすれば、流されたくはないでしょう?」(問題集4年・例)
わが身をうんこに置き換える! その発想はなかった!
ここまで愛が燃え上がると、次のような人も出てくる。
「流れていくうんこの行く末を知りたい」(ドリル4年・末)
生活排水は、トイレから出る「汚水」と、台所、風呂、洗濯機から出る「雑排水」に分かれ、建物のなかでは別の排水管を通る。両者は下水道で合流し、下水処理場で、有機物(生物が作り出す物質)の沈殿(水の底に沈める)→ 細菌による有機物の分解 → 再び沈殿 → ろ過(フィルターで汚れを除く) → 殺菌をされたのち、川や湖や海に放流される。
「流れた後のうんこが心配で川まで追いかけた」(問題集3年・配)
ああ、うんこ愛! でも、川に流される頃には、うんこは影も形もないんだよ~。
「まちがえて流してしまったうんこの安否が、確にんできてほっとした」(問題集6年・否)
ええっ、うんこは無事だったの!? それはそれで下水処理場の責任が問われそうな事件だが、まあ、よかったです。
いずれにしても、うんこが出るというのは素晴らしいことだ。
「うんこに一礼してから流すとは、立派な心がけだ」(問題集6年・派)
うんこは流すことを推奨したい筆者だけど、このぐらいの心がけは持ちたいと思います。