『うんこドリル 漢字』のなかで、やたらと出くわす動詞が「もらす」である。
「さわやかな青年がうんこをもらす」(ドリル1年・青)
「作家がうんこをもらしながら、本を書いている」(ドリル2年・家)
「汽車にのったとたん、うんこをもらした」(ドリル2年・汽)
「武者ぶるいではなく、うんこをもらしただけです」(ドリル5年・武)
いろいろな人が、さまざまなシチュエーションで、実によくうんこをもらすのだ。筆者が数えた限りでは、『ドリル』『問題集』合わせて155もの例文が、うんこもらしを報じている。
「うんこをもらした話なら枚挙に暇がない」(ドリル6年・枚)
まさにそのとおり! なぜ人々は、こんなにうんこをもらすのだろう。
◆ええっ、そこでもらす!?
世のなかには、「決してうんこをもらしてはならない状況」というものがある。だが『うんこドリル 漢字』においては、人々はそういう状況においても、忌憚なくうんこをもらす。
「魚市場でうんこがもれた」(ドリル2年・魚)
耐えてもらいたかった!
「気象予報士が、生放送でうんこをもらしている」(ドリル4年・象)
視聴者も驚いたでしょうなあ。
「水泳大会の決勝で選手がうんこをもらしている」(ドリル3年・勝)
むえーっ。プールはどうなった!?
「あふれ出たうんこをそうじ中に、うんこをもらした」(問題集1年・中)
うわー、せっかくの掃除が水の泡だー!
偉いヒトビトも、よくもらす。
「駅前の広場で市長がうんこをもらしたそうだ」(ドリル2年・広)
「政治家がうんこをもらしたまま演説を続けている」(ドリル4年・治)
「かれが、日本一うんこをもらす衆議院議員だ」(ドリル6年・衆)
「大臣は、大量のうんこをもらしながらも会談を続けたそうだ」(ドリル3年・談)
「くにの大じな式典で、総理大臣がせい大にうんこをもらした」(問題集4年・典)
人気者も、よくもらす。
「人気歌手がコンサート中にうんこをもらした」(ドリル2年・歌)
「うんこをもらしても歌う歌手に、客席から『がんばれ!』の声が飛んだ」(ドリル4年・席)
「実は、コンサート上演開始と同時にうんこをもらしていました」(問題集5年・演)
こうなってくると、
「うんこをもらした政治家が現役を退いた」(ドリル5年・退)
「投手がうんこをもらしたため、試合は中止になった」(ドリル3年・投)
「決勝戦は、両方の選手がうんこをもらして中止になった」(問題集3年・勝)
「けい事がうんこをもらしたことを理由に辞職した」(ドリル4年・辞)
なにもやめんでも。うんこもらすくらい普通のことだ!という気がしてくる。
◆なぜうんこがもれてしまうのか?
そもそも、なぜ人間はそう簡単にうんこをもらさないのか。
大腸の末端は「直腸」と呼ばれ、その出口の肛門は「内肛門括約筋」「外肛門括約筋」という2つの筋肉によって閉じられている。
外肛門括約筋は自分の意志で動かせるが、内肛門括約筋は動かせない。直腸にうんこが溜まると、知覚神経が脳に信号を送る。その信号を受けた脳は、副交感神経を通じて、内肛門括約筋を緩める指令を送る。同時に腹圧が高まり、それが脳に伝わって、自分の意志で外肛門括約筋を締める。
これが「うんこをガマンする」という状態だ。
「さっきから、脳が『うんこがもれる』と信号を発している」(問題集6年・脳)
「うんこがもれそうで、昼休みまで待てない」(ドリル1年・昼)
「この感じはうんこをもらす兆候だ」(ドリル4年・候)
「うんこがもれるまでもう秒読み段階だ」(ドリル3年・秒)
というのは、この段階である。普通はここでトイレに行き、外肛門括約筋を緩めると同時に、腹筋に力を込めると、うんこが出る。だから、トイレに行く前に腹筋に力が入ると、
「これい上力をこめるとうんこがもれそうなんだよ」(問題集1年・力)
「弱い力でおなかをさわられるだけでうんこがもれそうだ」(問題集2年・弱)
といった苦境に立ち至り、場合によっては
「たぶん、さっき逆上がりしたときにうんこがもれたのだと思います」(問題集
5年・逆)
など、あってはならない事態も起こり得る。
つまり、外肛門括約筋を締め、腹筋をリラックスさせていれば、そう易々とうんこはもれないことになる。『うんこドリル 漢字』の人々は、それが苦手なのだろうか。
「森の中でおばけを見てうんこがもれた」(ドリル1年・森)
うーん、恐怖のあまり腹筋に力が入ってしまったのかもしれない。
「画数の多い漢字を見るとうんこがもれそうになる」(問題集2年・画)
正しく覚えようという緊張で、腹筋に力を込めてしまったのかもしれない。
「テストで満点を取った喜びで、うんこが全部もれた」(ドリル4年・満)
これはもう、ヨロコビのあまり、思わず腹筋に力を入れてしまったんでしょうなあ。
◆そして事件は起こった!
だが「外肛門括約筋を締め、腹筋をリラックスさせる」という「うんこもれ対処」にも、限界がある。次のような事件が起きてしまうのも、仕方がないかもしれない。
「校歌の前そうが長すぎて、八人もうんこをもらした」(問題集2年・歌)
「試合は延長戦となり、うんこをもらす選手も出てきた」(ドリル6年・延)
とはいえ、
「し合の前半ですでにうんこをもらしていました」(ドリル2年・半)
という選手もいたらしいから、個人差が大きいようだ。
「学校に着く前にうんこがもれてしまうぞ」(ドリル3年・着)
いや、あきらめるのはまだ早い。
「何とか公園の入り口までうんこをもらさずに来られた」(問題集2年・公園)
がんばれ、トイレはもうすぐだ。
「皮肉なことに、うんこをもらしたのと同時にトイレを見つけた」(問題集3年・皮)
ああ、惜しかった!
「うんこはもれてしまったけど、トイレには行く」(ドリル2年・行)
そうだね、行ってみよう。まだ出るかもしれないし。
さらに、人間の集団には「引き込み効果」という現象が見られる。あくびが移ったり、まわりが緊張すると自分も緊張したり。同じことが、うんこの切迫感でも起きるようだ。
「このままでは全員うんこをもらす可能性がある」(ドリル5年・性)
高まりゆく緊張感。腹筋に力が入らなければいいが……。
「全校生徒同時うんこもらし事件」(ドリル5年・件)
うわーっ、やっぱりっ!
◆今後どうするんだろう?
うんこもらしに対する人々の考え方はさまざまだ。
「もう二度とうんこはもらさないと決意した」(ドリル3年・決)
おお、固い決心! 外肛門括約筋や腹筋は、自分の意志でコントロールできるのだから、がんばれば大丈夫だろう。だが、そんな人ばかりではない。
「ぼくは一生であと何回うんこをもらすだろう」(ドリル1年・生)
うーん、悲観的だ。すでに精神的に負けてしまっているような……。
「一学期は十八回うんこをもらした」(ドリル3年・期)
1学期は4~7月の3ヵ月半ぐらいだから、いま小学3年生の1学期が終わったところだとすると、今年度中にあと44回、その後は1年に62回ずつ。90歳の3月まで生きるとして単純計算すると、これから累計5066回もらす!
「入学してから今日までに八十六回うんこをもらした」(問題集1年・入)
いま1年生の3月だとしたら、この人の場合は7183回もらす!
『美しいうんこのもらし方講座』というDVDを買った」(ドリル5年・講)
うんこをもらすのが前提で、せめて美しくもらしたいという逆転の発想!
もっと開き直っている人たちもいる。
「どう考えても、うんこをもらすことは必然だったのだ」(問題集4年・必然)
「もらしたというより、予定より早くうんこが出てきただけです」(問題集3年・予)
「ぼくはすぐにうんこをもらすが、悪意はないのだ」(ドリル3年・悪)
「うんこをもらすのは天災のようなものだから仕方がない」(問題集5年・災)
さらには、うんこもらしを全面肯定する人も!
「少しくらいうんこをもらす方が健全だ」(ドリル4年・健)
「『もらす』という動詞は、うんこによく似合う」(ドリル6年・詞)
だがその一方で、
「これい上うんこをもらすなら帰ってくれ」(ドリル2年・帰)
過度なうんこもらしには不快感を抱く人もいるので、ほどほどにしたほうがいいかもなー。