空想科学研究所の設立は、平成11年1月11日。
最初の『空想科学読本』が出たのが平成8年2月だから、それからほぼ3年経っている。
このタイミングで会社を作ったのは、当時その本の出版社と柳田理科雄が裁判で争っていたからだった。
経緯をざっくり書くと……。
もともと僕がその会社に勤めていたのだが、『空想科学読本』を2冊出したところで、別の出版社に転職した。
もちろん既刊の2冊は以前の出版社に置いてきており、転職先では柳田の新たなシリーズを立ち上げようと思っていた。
その準備をしていた頃、僕は書店で「ベストセラー『空想科学読本』が文庫化」というチラシを見かけた。
柳田に「もう文庫にすんの!?」と聞くと、彼は驚いた顔で「文庫化? 初めて聞いた」と言うので、これには僕のほうがビックリした。
数日後、困惑した柳田から連絡があった。
「文庫にするなら、著者の意思を確認すべきではないか。計算間違いなど、あちこち修正する必要もある」と出版社に申し入れたところ、予想外の返事が返ってきたという。
それは「本の仕様は、出版社に決定権がある。すでに出ている本を文庫サイズで出すだけだから、著者の同意は不要。修正も認められない」というもの。
柳田は困っているし、僕は腰が抜けるほど驚いたので、転職先の顧問弁護士に相談すると「すでに書店にチラシが行ってる以上、急いで文庫の発売を差し止めたほうがいい」とアドバイスされた。
それに沿って柳田は裁判所に「出版差し止めの仮処分申請」を行って、それはただちに認められた。
ところが、その出版社は「不当な出版差し止めにより、莫大な利益を失った」として、柳田に巨額の損害賠償を求める裁判を起こしてきたのだった……。
そんなことがあったため、僕は空想科学研究所という会社を作った。
「文庫化に著者の同意は不要」などという判決が出るとは思えなかったが、一個人が出版社から巨額の支払いを求められたら、なかなか仕事に集中できるものではない。
柳田の様子を見ていて、つくづくそう思い、まだ判決の出ない1月11日に法人化したのだった。
その後、裁判には完勝して、文庫化には著者の同意が必要なことが認められた(当然すぎる…)。
そして、これも当然ながら、柳田は『空想科学読本』の出版権をその出版社から引き揚げた。
こうしたトラブルがあった結果、柳田と新しく立ち上げようとしたシリーズは幻に終わり、僕は新たな転職先で『空想科学読本』を作り続けることになった。
あれから26年、まさかこんなに長く空想科学研究所を続けるとは……。
人生は何がどう影響するかわからんなあ、と毎年1月11日にはしみじみ思う。