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今日の研究所

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水木一郎さんに感謝を込めて。

水木一郎さんが亡くなった。あまりに残念で、とても寂しい。

鹿児島の中学生だった頃、水木さんの歌を聴きにいったことがある。
近所の電柱に「秘密戦隊ゴレンジャーショー」のポスターが貼られていて、そこには水木一郎さんと堀江美都子さんの顔写真も載っていた。
アニメのエンディングなどで、二人の名前は頻繁に見ていたが、顔を見たの初めてで「おお、美男美女だ!」とびっくりして、どうしても生で見たくなった。

そこで、同じクラスだった柳田理科雄を誘うことにした。
柳田は歌が好きで、大声でよく『マジンガーZ』などの歌っていたからだ。

しかし、当時はまだアニメブームの前。
中学生がアニメなど見ていると「いつまでそんなモノを見ているんだ!」と叱責される時代だった。
また「外出時には制服着用」という校則もあった。
もしゴレンジャーショーに行ったことがバレたら、すぐに学校中に噂が広がって、大変なことになるかも……と、僕は本気で心配していた。
そーっと行って、そーっと帰ってこなければ。

当然のように、ゴレンジャーショーは、小さな子どもとその保護者ばかりで、柳田と僕は明らかに目立っていた。
だから客席が暗くなってショーが始まったとき、僕は正直ホッとした。
壇上にはゴレンジャーや『フランダースの犬』のネロが登場し、水木さんや堀江さんが何曲も歌っている。とても豪華だ。
予想外のことが起こったのは、見たことのないヒーローたちが壇上に現れたときだった。
進行役を兼ねた水木さんが「この人たちの名前を全部言えるチビッ子はいるかな?」と会場に向かって問いかけるが、誰からも手が挙がらない。
ところが、僕のとなりに座っていた柳田が、高々と手を挙げたのだ。

水木さんも一瞬「えっ⁉︎」という顔をしたが、本命のチビッ子たちが沈黙しているのだから仕方がない。
「じゃあ、そこの少し大きなキミ」と柳田を壇上に上げた。
そして「順番に名前を言ってくれる?」と柳田にマイクを向けると、柳田はよく通る低い声で「雷忍! キャプターワン! 水忍! キャプターツー!」と次々に答えていって、計7人の名前を正しく挙げていく。
水木さんはすっかり喜んで「すごいね、キミ。だったら主題歌も歌える?」と聞いてくれたのだが、柳田は「主題歌は……いや、あの、知りません」と答え、水木さんが明るく笑って「じゃあ、僕が歌いましょう」と、なんだかきれいな流れに収まったのだった。

このヒーローは『忍者キャプター』で、当時の鹿児島ではまったく放送されていなかったから、子どもたちが知らないのも当然である。僕も知らなかった。
後に聞いたら、柳田は「テレビくん」か何かの雑誌を読んで知っていたらしい。だが、雑誌では主題歌まではわからなかったのだ。

そんなハプニングもあって、もうすっかり目立ってしまったので、僕も開き直ることができた。
柳田はショーが終わると帰っていき、僕は一人で楽屋を訪ねた。
水木さんは僕の姿を見るなり、「あっ。キミはさっきの子の友達だね。今日は来てくれてありがとう!」と、室内に招き入れてくれた。
水木さんにも堀江さんにもとても歓迎してもらって、いろいろなことを聞かれた記憶はあるのだが、モノスゴク緊張していた僕は、内容をまったく覚えていない。
覚えているのは、ただ一つ。
堀江美都子さんが僕の坊主頭(校則で五分刈りと決められていた)を見て、「坊主頭かわいいわねぇ。うちの弟にも坊主にするよう言おうかしら」と言われたことくらいだ。
恥ずかしかった。

最後に、持ち歩いていたスケッチブックにサインをもらった。
堀江美都子さんは名前の前に「キャンディ♡キャンディ」とスラスラと書かれたのだが、水木さんは「うーん、何がいいかな」とマジックを手にしたまま、だいぶ長いこと考え込まれた。
水木さんは、だいぶ経ってから「マジンガーZ」と書かれた。
いまでは水木さんの代表曲として躊躇なく挙げられるタイトルだが、当時はそこまで突出した曲ではなかったのだ。
僕は、水木さんが迷った末にこの曲名を書いてくれたのが、とても嬉しかった。

これら一連のできごと(柳田の登壇も含めて)は、僕にとって忘れ難い記憶となった。
何よりも「ゴレンジャーショーを見にくるような中学生にも、こんなにも真摯に対応してくれるんだ」と、心から感動したのだ。
僕がいま空想科学研究所を営んで「マンガやアニメを科学的に考える」ことを仕事にしているのも、この日の体験と決して無縁ではない、と思っている。

その後、アニメブームが起こって、水木さんや堀江さんの知名度はどんどん上がっていき、日本はもちろん、海外外でも大人気となった。
柳田も『空想科学読本』が売れて多少の知名度はできたので、僕が編集した書籍で、水木さんと柳田の対談を組んだこともある。
ゴレンジャーショーから20年ほど経った頃で、水木さんはもう大スターだったが、相変わらず真摯で気さくで、あの頃とまったく変わっていなかった。
とても魅力的な人だった。

水木さん、本当にありがとうございました。
水木さんの歌と魂は、決して忘れません。