「理科雄」という名前は本名です。1961年、鹿児島県の種子島で誕生したとき、父親が「これからは科学の時代になるはずだ」と信じて命名しました。
1980年、鹿児島県立鶴丸高校を卒業。京都駿台予備校を経て、翌年に東京大学理科Ⅰ類へ進学します。ところが、アルバイトで始めた学習塾講師の面白さにハマッてしまい、やがて大学を中退。日本一の塾講師を目指そうと思います。
いくつかの塾を渡り歩き、遠く中国にまで足を伸ばして腕を磨いて、91年にようやく自ら経営する学習塾「天下無敵塾」を設立します。ところが、経営者としての才能はまったくありませんでした。学習塾はたちまち火の車となり、倒産の危機が……。
そんな状況の95年、編集者の友人・近藤隆史の勧めに応じ、塾の資金繰りを少しでも楽にしたいと思って執筆したのが、処女作『空想科学読本』でした。この本は60万部のベストセラーとなり、96年の「本の雑誌が選ぶBEST10」の第1位にも選ばれました。しかし、タッチの差で印税の入金が間に合わず、塾はついに倒産してしまいました。
99年、塾講師から執筆へと活動の中心を移し、近藤隆史と共に空想科学研究所を設立します。主任研究員として、書籍や雑誌などで執筆を続ける一方で、各地での講演、ラジオ・TV番組への出演なども精力的に行っています。07年には『空想科学 図書館通信』の無料配信を始め、現在も継続中。明治大学理工学部の非常勤講師も務めています。